Month: 10月 2004

また雨。modulationと自転車。

雨が一瞬やんだすきをみて、自転車で新宿へ。
早稲田の授業には15分の遅刻。
今日は「modulation」を観た。
シュトックハウゼンだとかケージだとかピエール・アンリだとか、きっと「クラブミュージックが大好き」とか言ってる子たちが知らない名前が目白押し。頭のよさそうな奴もバカっぽい奴も同一線上におかれている。
98年の映画だけど、ジャングル、デトロイトテクノについての言及がすごく長いところとか、すでに時代モノになっている感もある。地味にovalが登場してたりもする。
帰りは傘を持っていないので、授業の助手を頼んでいるYさんの傘に入れてもらい高田馬場へ。駅にたむろしている暇そうな大学生から横溢する性欲に強い吐き気を催しつつ、ひさしぶりに山手線に乗る。
新宿についたら、雨はやむどころか激しくなっていた。
雨のなか自転車で帰ったらどんな気分だろうか、純粋に試したくて、南口にとめてあった自転車のサドルの雨を拭い、走り出す。
真上から落ちていたはずの雨が作る垂直の線は走り出すとすぐに傾きをもちはじめ、斜め前から顔を打つ。微かな痛みは、でも、とても心地よいものだった。
同時に水滴が無数の小さな円を眼鏡の外側につくりだす。パークタワーを過ぎる頃には視界はフィルターがかかったように曇っていた。光はにじみ、変形し、数メートル先しか見えないのに、そのまま走り続けた。
もちろん、ずぶぬれになった。
でも、部屋に戻ったとき、雑踏で拾ってきたいやな匂いは体から流されていた。

雨と寝坊

小雨が降ると、この10Fの部屋はとても静かになる。
なぜだろう?
理由はよくはわからないのだけど、車の音や雑踏などが部屋に到着するまでに、雨の層で吸収されるからだろうか?
そもそも、天候に関係なく、遮るもののない10Fの部屋からは街の雑踏がいつも遠い霧のように聞こえている。音の定位もあいまいで、ゆったりとうつろう。ドローンのように。
今夜は、粟野ユミトさん展覧会のオープニングに顔を出そうと思っていたのに、寝坊。気がついたら、21時になっていた。

デジタルの意味と距離と。

N-さんへ
>私は相変わらず銀行に行ってお金納めて、辞書でことば調べて、原稿用紙に文章書いてます。
ネットで振り込みして、ネット辞書でことば調べて、ワープロで文章書いています。
しかし、これは、本質的な違いではないの。
作業の効率アップのためにデジタル化している、ということ。
それがビジネスの現場ではシビアだから。
だけど、本質はそれとはちょっと違う場所にある。
デジタルでものを作る意味は、僕らの今までの作業の代替としてあるわけじゃない、ということ。
ここをよくわかっていないひとが多いんだ。
だから、デジタルデータそのものの、マテリアルとしての意味を考えています。
機械の音が自然音を模倣するためにあるのではないのと同じように、コンピュータが生み出す価値観が、従来の生活の模倣でない、全く別の人間の振る舞いを生み出すかもしれないと感じています。
でもそこに人間の存在と不可分な「身体」がどうやって取り込まれていくのかがよく見えていない。
「身体」の問題は重要でこのあたりを考えるのが、デジタルライフの今後を予測していく鍵になるかも。
テクノロジーが肉体を拡張してきたのは事実。
電話で話しているときに身体的な反応がないわけではないでしょう?
事実、この間僕は部屋でドライバー(ねじを締めるためのアレね)を探していてみつからず、思わずgoogleで検索しようとしてしまった。!