Month: 8月 2005

いかん

またさぼってしまった。
お詫びに無精髭の写真をアップしてみます。
え?見たくない?ごもっとも!
“Further than lontano”フライヤあがってきました。!
“Lontano”のさらに彼方へ、ですからね。どんなことになるんだろう。わくわく。
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Starnet

益子にあるstarnet (http://www.starnet-bkds.com/) に行く。
よく仕事を一緒にしている友人、西村佳哲さんと奥さんが運営しているリビングワールドというデザインレーベルの展覧会がstarnetのギャラリーである”zone”で開催されている。
それを見に。
夕暮れのstarnetは美しく、展示も、丁寧に作り込まれバランスを考えられた、とても心地よいものだった。
展覧会のタイトルは「窓」。
内と外、自然と人為、いくつもの理念の上で分断された領域を窓でつないで、風をとおす。
と、これは僕の勝手な解釈だけど。
窓(window)には、風(wind)が含まれているから。
細部までこだわっているけれども、”神経質なアート”ではない、そのバランスが見事だった。
そして、starnetは、食事がとてもおいしい。
心に体に滋養を与えることができた。
オーナーの馬場さんに”lontano”を差し上げたら、とてもよろこんでくれた。
ささやかながら、お礼ができてよかった。
夏の、一日。

春は馬車に乗って

昨夜、急に昭和初期の日本語が読みたくなって本棚を物色。
横光利一がいいかな、と思って短編集を選んだ。
「春は馬車に乗って」、「微笑」、「機械」。
どれも素晴らしい。
横光も川端も、実は短編によいものがある、と思ってる。
そうだ、いきさつを書かなくちゃ。
ネットで、エミリ・ブロンテの「嵐が丘」のことを調べてたんだ。
なぜかというと、今年の夏休みはイギリスにでもいこうかと思っていたからで、、そこから、
→水村美苗「本格小説」(「嵐が丘」を下敷きにしている)
→水村氏の問題意識でもある英語スタンダードな社会への批判、日本語の文学の弱体化
→ああ、そういえばちゃんとした日本語読む機会が少なくなったなあ、
→冒頭につながる。
と、こういうわけ。
ネットで情報を漁っていると、気がつくと当初の行動と全く別のところにいたりする。
ときにはこういう夜もいい。だけど、「よい日本語の小説を読む」という行為は、「勝ち組」を目指すことに忙しいこの社会のなかで「役にたたないこと」として隅に追いやられていくばかりなのだろう。グローバル化の代償はこんなところにもある。
スイトピーが届く場面は、深くえぐられるように、美しい。