某スタジオにて
都内某スタジオのコントロールルームにて。某CM音楽の大編成オケ&歌録りでした。向かって右側の愛らしい女性はソプラノ吉原圭子さん、澄んだハイトーンが素敵でした。真ん中はレコーディングエンジニアの渋谷直人さん、理知的でかつ品のよい音作りでいつもお世話になっています。
はたらく一ノ瀬響。(←非常に珍しい光景)
一ノ瀬響 -From the silence, Into the silence-
都内某スタジオのコントロールルームにて。某CM音楽の大編成オケ&歌録りでした。向かって右側の愛らしい女性はソプラノ吉原圭子さん、澄んだハイトーンが素敵でした。真ん中はレコーディングエンジニアの渋谷直人さん、理知的でかつ品のよい音作りでいつもお世話になっています。
はたらく一ノ瀬響。(←非常に珍しい光景)
1997年秋作曲。神奈川県が20年ほど続けて行っていた合唱曲作曲コンクールを打ち切る際、これまでの活動を総括するようなフェスティバルを企画、過去の受賞者の中から3名を選んで新作を委嘱することになり、僕が作曲することになった。林光さんが僕を推薦してくれたのだ。
この曲は「日本の合唱曲」としてはかなり異質なもので、類似の書法を見いだすことはあまりないだろう。でも、ではここに用いられている作曲技法が全くのオリジナルのものかというとそんなことはまるでない。トーンクラスターの構成の仕方は一部リゲティからヒントを得ているし、ピッチをグラフのように記譜する方法は当時よく読んでいたマリー・シェーファーの著作からの間接的な影響だ。テクストは、万葉集から。たった一首の歌を引き延ばして、引き延ばして使っている。
「どうしてアナログシンセサイザーを用いたのか」とよく訊かれるのだけど、なんででしょうか。「音色が欲しかったから」としか答えようがない。アナログシンセもピアノも楽器ではないか。。ねえ。
初演をしてくれたのは県立多摩高等学校の合唱部とその指導者(当時)のI先生。I先生は素晴らしい方で、「合唱指導者」および「高校の音楽の先生」に対する僕の、それこそ紋切り型なネガティブ認識を壊してくれたことが今でも記憶に残っている。その後、僕の最初のアルバム「よろこびの機械」でもお世話になった。
写真は、当時の新聞記事。一ノ瀬響、24歳。。うーん。
(この曲を「作品紹介カテゴリー」の最初のエントリーにしたのはですね、とある合唱のブログでこの楽曲についてやりとりがされているのを偶然発見したから。情報提供の一助にはなるかと思うので、トラックババックしておきます。)
[haiku url=”http://kiwords.up.seesaa.net/image/imenogoto(mp3).mp3″ title=”imenogoto”]imenogoto(mp3).mp3
また放置してしまいました。月記以下になってしまいました。
さて、これから時々、過去の現代音楽作品(キャー)の紹介をしようかと思っています。ソロのCDをリリースしはじめたころから、コンサート用の作品を発表する機会が減っていますが、またぼちぼち依頼があればやっていこうと思っていたりもして。
古いも資料を引っ張りだしつつ、アーカイブ化する作業もまた楽しかろう。ということで。。
あ、それから昨年から実姉と”tOkyO”という名前の作曲ユニットはじめています。こちらもどうぞよしなに。