News and Memorandum

パラレル

僕たちはしばしば過去をふりかえる。
することができたはずのことを、選ぶことができたはずの選択肢を、そして、手に入れることができたはずのものを思って、しばし立ち止まる。
並行宇宙(parallel world)という考え方をご存知だろうか?
僕たちが選ばなかった可能性の世界がどこか別の次元で無数に存在している、という理論。
その考え方をするなら、人生は一本の線ではなくて木の枝が分岐していくような形をしているはずだ。そして、世界は無数の木がからみあった網のようなものだと考えてもいいだろう。
無数にいる「私」という考えは、過去を振り返って選ばなかった可能性について思いをはせているときの自分に、ある慰めを与えてくれるものかもしない。なぜなら、選ばなかった可能性は、その無数にいる「私」の誰かがリアライズしてくれているからだ。だから、「私」は安心して、今の自分でいればよいはずだ。
あるいは。
例えば、今日僕が何の理由もなく調子が悪かったとして、何となく気分がすぐれなかったとして、それが、網の彼方にいる僕からの何かのシグナルかもしれないと考えることもできるだろう。
それなら、引き受けなくっちゃね。
ほんとうに、他人事ではないのだから。
空気が冷えてくる、頬のあたりが引き締まる、季節のとばぐちに。

Spout!

ときどき、代々木公園に体を動かしにいくことがありまして。。
ときどき、こういう馬鹿なこともやってみたくなるわけでして。。
05110406.JPG

それぞれのとらえかた

いままでは。
いわゆる「音楽好き」。ジャンルに拘泥することなくたくさんの音源を聴きこんでいるタイプ。クラブミュージックの新しい流れに敏感な若者たち、その多くは男の子であり、年齢のボリュームゾーンは20代半ばくらいといったところ。
そういった子たちが、主に僕の音楽を好んでいてくれるのだろうと思っていた。
最近、うっすらと思うことは、
そのタイプじゃない人もいるみたいだ、ということ。
普段、あまり音楽など聴かない。たまたま耳にした僕のアルバムを「こんな感じのものは聴いたことがなかったな」と感じて、でもその感覚を好んでくれる。「現代音楽」も「テクノ」もあんまり興味なんてないし、知らないし、そもそも音楽にはまったくの素人だという認識をもっている。
ときどきサイトのほうにいただく感想や知人からの話をもとに推測すると、
確かにこういった層もいるみたいなのだ。
そして。
おそらく、この2つのタイプでは、音楽のとらえかたもずいぶん異なるのだろう。
でも。
どちらのタイプも、
音楽用語、専門用語を駆使して説明してくれるひとも、
ふと感覚の狭間から掬いあげた言葉で印象を語るひとも、
それぞれのとらえかたで、
そのままで、
僕にとっては大切な存在に違いない。
——
音楽を通じてのみ繋がっているという関係はよく晴れた冬の朝みたいに気持ちがいい。

further than lontano further than lontano

イベント来場してくださったみなさまありがとうございました。
実は思っていたよりも空間がひろく、スピーカの配置をふくめてかなり試行錯誤がありました。もうすこしタイトなスペースだったらもっとはっきりと音源移動がわかったのではないかと思い、その点は少し残念でした。
ライブは、、、、
極度に抽象的なことをやったからか僕自身が最も疲労した感じを味わいました。
「引きのばされた一瞬」だったのですが、疲れたのは、なぜだろう。。
いろいろ、考えています。
まずはとりいそぎ、お礼まで。
ひとまずは。