デジタルの意味と距離と。
N-さんへ
>私は相変わらず銀行に行ってお金納めて、辞書でことば調べて、原稿用紙に文章書いてます。
ネットで振り込みして、ネット辞書でことば調べて、ワープロで文章書いています。
しかし、これは、本質的な違いではないの。
作業の効率アップのためにデジタル化している、ということ。
それがビジネスの現場ではシビアだから。
だけど、本質はそれとはちょっと違う場所にある。
デジタルでものを作る意味は、僕らの今までの作業の代替としてあるわけじゃない、ということ。
ここをよくわかっていないひとが多いんだ。
だから、デジタルデータそのものの、マテリアルとしての意味を考えています。
機械の音が自然音を模倣するためにあるのではないのと同じように、コンピュータが生み出す価値観が、従来の生活の模倣でない、全く別の人間の振る舞いを生み出すかもしれないと感じています。
でもそこに人間の存在と不可分な「身体」がどうやって取り込まれていくのかがよく見えていない。
「身体」の問題は重要でこのあたりを考えるのが、デジタルライフの今後を予測していく鍵になるかも。
テクノロジーが肉体を拡張してきたのは事実。
電話で話しているときに身体的な反応がないわけではないでしょう?
事実、この間僕は部屋でドライバー(ねじを締めるためのアレね)を探していてみつからず、思わずgoogleで検索しようとしてしまった。!