何もかもが「イメージ」を介して理解される。
消費されるたくさんの製品は「上質」や「信頼」のイメージ、選挙においては「改革」のイメージ、そして、家族関係にすら「愛」のイメージを追い求める。
この得体の知れない「イメージ」は、”ムード”とか、”流れ”とか、”民意”とか、いろいろな言葉で呼ばれる。観念が先行して肉体的な考察が遅れる。結果、世界にはわけのわからない霧のようなものが漂うばかりになっている。
それでも、僕たちは毎日、何かを選択しながら生きている。AではなくてBを選ぶ、という行為を繰り返している。
どうやって?どのように?選択したらよいのか、わからないままに。半ば無意識に。
世界にあるすべてのものをすべて公平に判断することなど原理的に不能だ、とわかった上で、それでも「よりよい社会」について考えるということ。これはどういう作業なのだろう。TVから日々垂れ流されている、電車のつり広告が強いてくる「イメージ」の横溢に左右されずにものを考えられるとしたら、どうやって、なのだろう。
そんなことを考えながら、昨日は、去年親しい知人たちのために作った小さな曲をリミックスしていた。
手がかりは、やっぱり「からだ」なのだろうか。
続きます。
イメージ/リミックス