今日、知人のNさんがミーティングで僕の部屋に遊びにきてくれた折、なにげなく宿題を残して去っていった。
宿題の中身はベーレントの著作の一部分に関わるもので、”「西洋音楽の歴史における和声の発達、およびそれにともなう「協和」「不協和」概念の変遷」を聴覚で理解できるように整理すること”だったりする。
「協和」「不協和」は相対的なものであって、その概念は時代とともにある方向性をもって変遷してきたということを、はっきりわかるように提示してほしいということなのだった。
ああ、ちょっと小難しい書き方だ。
もう少し簡単に書けるはずだと思うのだけど。
例えば、
「人間の耳はどんどん複雑さになれていき、より高度の複雑さをもった秩序を求めるようになる。」
と言いかえれば、少しわかりやすくなりますか。。。?
CD棚からあまり数の多くないクラシック系の音源を探しながら、Nさんのための解説なのに、僕自身がこの宿題を楽しみはじめていることに気がつく。そして、2日前にとあるパーティで知り合った女の子と交わしたバッハとドビュッシーに関する会話を思い出したりしている。バッハの和声構造とドビュッシーのそれは本質的に違う。旦那さんにするなら、バッハ85パーセントくらいの人がよい、とその子はちょっと酔っぱらいながら話していたのだった。
そうそう、
Nさんは僕の本棚から萩尾望都の「百億」を見つけて目を細めていた。
通じてる。ここでも何かが。
(もちろん)続きます。
宿題を出された日