川村記念美術館で開催されていた「マーク・ロスコ 瞑想する絵画展」、会期終了間際になんとか行くことができた。世界に散らばっているシーグラム絵画を集めて体験できる機会はもう当分ないだろうと、つまりは彗星とか日食とか、珍しい天文現象と同じような気分でしたが・・。
シーグラム絵画の契約破棄の実情やテートへの寄贈をめぐるドキュメンタリー的な展示もあったし、それはそれなりに興味深いものであったけれども、やはり肝心の絵そのものが素晴らしかった。
今回、ロスコの赤から僕はしきりに血の色、とくに母の闘病時にみたさまざまな血の色を鮮烈に思い出していました。1995年だったか木場でいくつか同じ絵を見ているはずなのですが、そのときはもっと穏やかな印象だったものが、今回は息苦しくなるくらいのつらさがありました。
悲劇的で痛々しくて、ほの暗い。
でも、僕にとってロスコの絵は鑑賞者に重くのしかかってくるものである一方、同時にその深みで自尊心や誇り、あるいは「悲しみ」のもつ豊かさや広がり喚起してくれるものでもありました。
その前に立つと自然と厳粛な気分になってしまう、数少ないもののひとつ。
作品に向かうということは、鏡を見るようなもので、だから、それを感じとるような体の変化が自分にあったということを、僕は”a small good thing”といって悦んでよい、でしょうか?
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画展」