大学の3年生、あるいは4年生だっただろうか、作曲第二実技というちょっと珍しい形(セカンドオピニオンのようなもの、と言えばいいだろうか。)で林光先生のレッスンを受けることとなった。先生はたいへんなエリートでありながら、全く「上から目線」のない方だった。曲について、指導らしい指導はされたことがなかった。いつも面白い本を読んでおられて、その話をしてくださった。また、多作な方だったので、ご自身の作品を聴かせてくださったり、僕のわがままに応じてくれて、未出版の最新作のスコアをコピーしてくださったりした。僕は特に先生の声楽曲、合唱曲が好きだった。
大学院に進んだあとも、先生のレッスンには「もぐり」で顔を出していた。
ある日、先生からハガキが送られてきた。「K県で合唱フェスティバルが開催されることになり、委嘱する作曲家が3名決まりました。KさんとIさんと、あなたです。」と簡潔に、でもきれいな字で書かれていた。無名の学生が選ばれる理由は先生の推挙以外にあり得ないのだけれど、どこにも「私が推薦してあげましたよ」というようなことは書かれていなかった。
そういう方だった。「威圧感」や「権威」に関して、驚くほど敏感な方だった。
そして、僕は「夢の如(いめのごと)」という曲を書いた。はじめてまとまったお金をもらって作曲した作品がこれだった。パッチ式のアナログシンセサイザーと合唱を組み合わせた作品で、2ヶ月くらいかけて毎日毎日ゆっくり書いていった。フェスティバルでは高校の合唱部が素晴らしい演奏をしてくれて、その縁がめぐりめぐって最初のアルバム「よろこびの機械」へと繫がっていく。
先生がいなかったら僕は「夢の如」を書くことはなかった。間違いなく。
それらは、恩、と一言でいってしまうことなどできない「何か」だったはずだ。にも関わらず、毎年のように「先生に連絡しなくちゃあ」とか思いながらも、ここ数年、僕は先生にまったくご挨拶もできずにいた。そして突然の訃報・・。悲しさと、あまりに情けなさすぎる自分に対しての憤りもあって、しばらくは体が硬直してどうにもならなかった。
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「四つの夕暮れの歌」を聴きながら、いま、これを書いています。先生の音楽は「正しさ」へとつながる道だとずっと感じてきました。これからもそうです。聴き続けますね。
そして僕も作ります。
先生ありがとうございました。