当時教えていた大学の学生に向かってこんな言葉をかけていた。
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こんばんは。ちょうど後期の授業が始まったころなのでしょうか?
僕は、毎日定時に出勤する仕事ではないので、この数日間はほとんどTVの前で過ごしました。
何度も何度もあの光景を見て、現実世界と想像世界(あるいは虚構)が錯視図形の「図」と「地」のようにくるくると反転していく様子を感じていました。今回、一体何が起きたのか?それが自分の生きている実感とうまく結びついてくれない、奇妙な違和感にどこまでもつきまとわれています。
これからどのような顔をして特撮映画のクラッシュシーンを見ればいいのだろう?
ここ数日、みなさんは何を感じ、何を考えましたか?
アメリカに滞在していたりした子はいませんでしたか?
事件がどこまでも悲惨で残酷で、言い様もないほどひどいものだったことは、今生きている誰もが否定できない事実です。ですが、歴史に目をむけ、これからの世界の行く末を考えての「この事件への処方箋」提出に関しては、おそらく様々な意見があると思います。
20世紀は大量殺戮の時代でもありました。ドイツ、南京、ゲルニカ、広島、ベトナム、イスラエルをはじめ、およそ世界中で、様々な国の様々な人々が理不尽に殺されました。今回のNYでも、「聖戦」に対する代償として、数千人のinnocent peapleが巻き込まれたわけですから、21世紀にはいっても、世界は根本的には、ちっとも進歩などしていなかったということになるのだと思います。
「パールハーバー以来」という言葉がアメリカのメディアに毎日のように登場している様子ですが、これにいくばくかの違和感を感じないような鈍感さを持ちたくはないとも僕は思っています。「アメリカの威信をかけた報復攻撃」といった日本の報道に対しても、一緒になって拳を振り上げるような気分にはどうしてもなれないのです。
イスラエルでは、多数のムスリムの難民が、瓦礫の山となったNYのダウンタウンよりもなお劣悪な環境でもう30年以上も暮らしています。また、もともとアフガニスタンに侵攻したのは、旧ソ連軍だったわけですし、それに対する抵抗運動を支援したのは、アメリカでした。
これらの歴史的な経過を冷静にみつめていくことが必要なのだと思っています。
「力」「武力」による解決のみを目指しても、泥沼のような報復合戦が際限なく繰り返されることは明らかです。アメリカのために、またすべての国のひとのために、その双方が満たされるように、できることを、日本は考えなくてはならないのだと思います。。アメリカの手下としてではなく、より冷静になれる立場の友人として。
最後に、もう50年以上の前に暗殺された(これもまた暴力!)、あるインド人の言葉を引用しておきます。
「あなたがこれまでに会った、最も貧しく最も弱い人の顔を思い出しなさい、そして、あなたの考えている行動が、その人にとってはどう役立つかを自問しなさい。」
2001.9.16
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3年前のこの日に僕はこんなことを考えていた。