Month: 6月 2005

お礼

「お誕生日おめでとう」メッセージを送ってくださったみなさま
どうもありがとうございます。
当日は家族と過ごしたのんびりのバースデイでした。
で、月曜も火曜も呑みながらそれぞれ祝ってもらえて、なんだか肝臓の休まらない今日この頃です。。
また1年、よい音楽ができるようにがんばりたいと思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願いします。
と、珍しく殊勝なことでもいってみよう!

ミスター現代音楽

ミスター現代音楽
シュトックハウゼンの講演とコンサートに行った。
チケットをプレゼントしてもらったので、2晩連続で。
“リヒト/ビルダー”は緻密に構成されたまさに「いわゆる現代音楽」のお手本のような音楽だった。20年前にはこういった響きが前衛音楽の必然だったのだろう。50年代60年代にヨーロッパで作曲を志すということは、現代の日本にいる僕らには想像もつかないような類いのシリアスな問いかけがあったはずで、それに対してシュトックハウゼンは一貫した態度で答えを出し続けている。この作品はその最新版ということか。際限なくリハーサルをしたとのことだが、演奏の精度もとてつもなく高いものだった。
「少年の歌」「テレムジーク」は懐かしさとともに、少し新鮮な印象を僕に与えてくれた。昨今の「音響系」などと呼ばれる音楽のひ弱さに比べて、これらの音楽の強度は確かなものに思えたのだ。
でも。
どちらの音楽も、「今」、僕自身がこころの底から欲しいものではなかった。
過去に憧れを感じた対象ではあるのだけど、「今」の自分がいるのは同じ場所ではない。
そんなことを思っていた。
終演後、巨匠はなんどもなんどもカーテンコール(というか、客席におりては舞台にあがり、を繰り返していたのだけど)を受けた。大喝采を聞きながら、僕はちょっと複雑な違和感を覚えていた。
なぜなら、拍手喝采を送るひとたちは、音楽ではなくて、「ミスター現代音楽」への賛辞を送っているように見えたからだ。偉大な「現代音楽神:シュトックハウゼン」に向かって。
90年代後半以降、クラブミュージックの一部、アドバンスドミュージックなどと呼ばれる範疇のアーティストが、しきりに現代音楽の作曲家へのオマージュを表明するようになった。それは、ライヒであり、ケージであり、ピエール・アンリであり、そして、シュトックハウゼンだった。それらは一種のルーツ探しのファッションだった。いや、ファッションとしてのルーツ探し、というべきか。
そして、シュトックハウゼンはふたたびカリスマになった。ヨーロッパのクラシック音楽の延長としての「前衛音楽」の洗礼を受け、それに心中しようという世代と、自分が大好きなミュージシャンが尊敬しているという理由でその偉大さを鵜呑みにする若い世代、そのどちらにおいても。
「シュトックハウゼン」の公平にして正当な評価が埋もれていることをあの拍手喝采が物語っているように僕には思えたのだ。
さて、僕自身はどこにむかえばよいのだろうか。そんなことを考えながら帰路についた。

たんぽぽ食堂

沖縄の空気にふれると、どうしてこんな豊かな気分になるのだろう?
いや、豊かな気分というのもあまりうまい言い方じゃない
癒される、という言葉はもっと似合わない、
存在が内側から少しだけあたたまる、という感じだろうか。
湿度は高かったし、抜けるような青空もなかった6月の沖縄なのだけど、その空気に触れているだけで何かが充填されているように感じた。
写真は作品を置いてくれている沖縄市のミュージアムの近くの大衆食堂。
イラストが素敵です。
tanpopo.jpg

沖縄へ

今朝から、沖縄にいってきます。
ワンダーミュージアム
http://www.koza.ne.jp/koza_index/kozawatching/wondermuseum/
の作品「動くつみき」についての現地でのプレゼンが必要、とのこと。
一泊して火曜日に戻ってくる予定です。
むこうは大雨たいへんそうで、ちょっと心配なのだけど。
では、いってきます!

誰も聞いていない・・

昨日、早稲田の授業で学生達がエキサイトする現場をみた。
一見、秋葉系オタクな(失礼か、あ、でもこれは貶し言葉ではないな)子がpuredataを使ったコンピュータミュージックを発表してくれたのだけど、彼の態度をめぐって、血液が沸騰してそうな子が何人かいたのだ。
発表者は、オートポイエーシスに基づいた作曲理論とか、フィードバックし相互作用があるような系を用いたシステムとか、まあ、そういった話を延々をしてくれたのだけど、その内容ではなくて、質疑応答のときの受け答えがちょいと独特で、そのことで他の学生がエキサイトしてしまった模様。国会の証人喚問みたいな質問の仕方にまでなってしまった。
まあ、例によってあんまり介入せずに最後に少しだけ意見を言いましたが。。。
知人に夜その話を雑談でしたところ「盛り下がってるよりはよいのでは?」とのこと。
確かにそうだ。
なんだけど、、それで思い出したことがあってね。
ミーチャンという美術評論家が、彼の夢として語っていたこと。
「だだっぴろい講義室(階段状で、机は横に長いやつね)で、だーれも聞いてないような「美術概論」なんて授業をやりたい。」
ああ、それも素敵だなあ。
学生達は、講義の内容なんて全く興味がなくて、窓から見える初夏の空が青くてきれいだな、なんて思ったり、新入生はせっせと紙をまわして会話したり、今夢中になってる恋愛のことをしきりに考えたり、あるいはわけもなく眠くて眠くてしょうがなかったりする。
そういうの、いいなあ。
すごく、いい。