Year: 2005

Ooo

これが廃校になった小学校に残されたオルガン。
学校に置かれていた楽器は、毎年毎年違う子どもたちを相手にしていたのだ。
その記憶が鍵盤やベダルに残っているはず。
声高に語らないけど、学校の歴史を見つめてきたこの楽器たちは、でも、
もう触れられなくなって何年もたつはずだ。
一緒に音楽ができることを楽しみにしている、と無言のメッセージを送ってみよう。
“光祭り”当日は9台のオルガンの合奏で、僕が作曲した新しい曲を演奏します。
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学食

火曜日は早稲田のゼミの日。
高田馬場のGKテックでのミーティングがはやく終わったために、
予定より1時間もはやく文学部のキャンパスに着いてしまう。
学食で簡単に食事をして、しばし学生観察に耽る。
学生たちの自意識が食堂にたくさんふわふわ飛散している。
ちょっと、息がつまる。
つられて、ふと自分の芸大時代を思い出す。
懐かしさではなく、嫌悪感と遺恨のみがボウフラみたいにわきあがってくるので、あわてて作業を中断。
ふう。
この子達が10年後にそういう思いをしないでくれればいいのに、と一瞬だけ願って、読みかけの本、内藤高「明治の音」を読みすすめることにした。

光の跡

早起きをする予定のあるときは、カーテンをあけたままにしておく。
朝日が東向きの窓から差し込んでくる。
太陽の「みかけの」大きさは、10メートルほど離れた木々の幹の太さと同じくらいになる。
木々の向こうから差し込む光は、葉が風に揺れるたびに形を変え、一瞬たりとも同じ像を結ばない。
数年前、首都高速の大井町の近くで大渋滞に巻き込まれたことがあった。
暑い夏の夕暮れ時で、わずか数分の間に空の色が劇的に変わっていくのを、惚けたように見ていた。
この世に、「ひと」対「世界」という関係しか存在しないのだとしたら、なんと素晴らしいことだろう。
と、思う。
(もちろん、それは矛盾であり、「最後の人類」にならない限りあり得ないことなのだけど。)

20050509

かろうじて、週記、かな。
何もしていないわけではなかったのだけど。
(いや、何もしていない日もあったのだけど。)
牛すじの煮込みを作ったり、母の日には姉とプレゼント探しにでかけたり、
あ、それから連休の間にちょっとしたアレンジ仕事をしたりもしていました。
今日はそのデモ段階の歌入れにたちあうため、赤坂のプリプロスタジオに。
カナダ系インド人のRajiさんが今回のヴォーカル。いい感じでした。。
いきかえりは、車の窓を全開にして走った。
緑の生命力、その横溢に咽せかえりそうになる。
一瞬と永遠は等しいもの?
光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」を読みかえしたりしています。