introspective things

昨年からRebecca Brownという人の著作を続けて読んでいる。
“the gifts of the body”を読み終わり、 “Excerpts from a family medical dictionary”を読み始めたところ。
語学力不足にてスピードはとてもゆっくりだけど、この作者の文章はとても平易でわかりやすいので、あまり苦労せずに読める。
Rebecca Brownの小説は、いってみればハリウッド映画の対極にあるものといってよいだろうか。
個人の視点から、家族、病気、生死を、抑制されたタッチで描写していく。
“unsentimentally, and with sometimes painful honesty,”
と”Excerpts from a family medical dictionary”のバックカバーには書かれている。
感傷を排し、そして、ときに痛いほどの誠実さで、と。
この日記が最近内省的なアトモスフェアに満ちているのは、きっと僕が読んでいるこれらの本の影響もあるに違いない。

what makes you yourself?

生体というのはとても複雑で精密なものだ。
たとえば、僕たちが何気なく毎日している日常の動作、そのことですら、一瞬のうちに損なわれる可能性だってある。複雑で精密なこの機械は、でもそれだけにとても壊れやすい。
わたしたちは愛の光を受けるため、しばらくの間、この地上に置かれた。
と、これはウイリアム・ブレイクという人の言葉。
しばらくの間。か。

New Year!

また新しい年を迎えることができました。
今年もまた、この惑星の公転周期一回分、およそ31536000秒を、
秒速1秒のスピードで歩いていくのです。
(アルキキルコトガデキルデショウカ・デキルトイイデスネ)
でも、
どこに向かって、でしょうか?
すべてが闇に溶け込んでゆくはずなのに。
なぜ、でしょうか?
2006年1月2日。

木津茂理ソロライブ

木津茂理さん(http://www.shigeri.jp/)のライブを聴きに、
浅草のギャラリーエフ(http://www.gallery-ef.com/)へ。
江戸時代(慶応4/1868年)に建てられた土蔵を改装したギャラリーは、
響きもよく、とても素敵なところだった。
20人ほどのお客さんでいっぱいになった蔵の中、そのかすかなで上品な残響を感じながら、インティメイトな音楽とお話を聴く、とても贅沢な時間だった。もちろんノンPA。
木津さんは唄い、お三味線を弾き、太鼓や酒樽までも(!)たたいてしまう才媛なのだけど、実は僕は生のライブを聴いたのははじめてのこと。
「つるとかめ」の活動のCDを聴いたときにも思ったのだけど、この人の唄は、なぜか痛い。具体的に体のどこかを切られるような、そういうフィジカルな痛みがある。
決して暗い声ではない、むしろ明るく開放的な声で唄う。
にもかかわらず「痛み」を感じる。そして、今日僕はふと、その「痛み」は「悼み」と言い換えてもいいのではないか、と思った。何曲か歌ってくれた子守唄が特に印象深かったのだけど、それも、優しさと痛み(悼み)が同居していたように思う。
唄と唄の合間に、それらの唄への思いや経験を話してくれる。
お話が一段落して唄にうつるとき、表情が一瞬のうちに変化する。笑顔を形作っていたはずの口がいつのまにか唄うための口に変わっている。短い時間のグラデーション。
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