また雨。modulationと自転車。

雨が一瞬やんだすきをみて、自転車で新宿へ。
早稲田の授業には15分の遅刻。
今日は「modulation」を観た。
シュトックハウゼンだとかケージだとかピエール・アンリだとか、きっと「クラブミュージックが大好き」とか言ってる子たちが知らない名前が目白押し。頭のよさそうな奴もバカっぽい奴も同一線上におかれている。
98年の映画だけど、ジャングル、デトロイトテクノについての言及がすごく長いところとか、すでに時代モノになっている感もある。地味にovalが登場してたりもする。
帰りは傘を持っていないので、授業の助手を頼んでいるYさんの傘に入れてもらい高田馬場へ。駅にたむろしている暇そうな大学生から横溢する性欲に強い吐き気を催しつつ、ひさしぶりに山手線に乗る。
新宿についたら、雨はやむどころか激しくなっていた。
雨のなか自転車で帰ったらどんな気分だろうか、純粋に試したくて、南口にとめてあった自転車のサドルの雨を拭い、走り出す。
真上から落ちていたはずの雨が作る垂直の線は走り出すとすぐに傾きをもちはじめ、斜め前から顔を打つ。微かな痛みは、でも、とても心地よいものだった。
同時に水滴が無数の小さな円を眼鏡の外側につくりだす。パークタワーを過ぎる頃には視界はフィルターがかかったように曇っていた。光はにじみ、変形し、数メートル先しか見えないのに、そのまま走り続けた。
もちろん、ずぶぬれになった。
でも、部屋に戻ったとき、雑踏で拾ってきたいやな匂いは体から流されていた。

雨と寝坊

小雨が降ると、この10Fの部屋はとても静かになる。
なぜだろう?
理由はよくはわからないのだけど、車の音や雑踏などが部屋に到着するまでに、雨の層で吸収されるからだろうか?
そもそも、天候に関係なく、遮るもののない10Fの部屋からは街の雑踏がいつも遠い霧のように聞こえている。音の定位もあいまいで、ゆったりとうつろう。ドローンのように。
今夜は、粟野ユミトさん展覧会のオープニングに顔を出そうと思っていたのに、寝坊。気がついたら、21時になっていた。

デジタルの意味と距離と。

N-さんへ
>私は相変わらず銀行に行ってお金納めて、辞書でことば調べて、原稿用紙に文章書いてます。
ネットで振り込みして、ネット辞書でことば調べて、ワープロで文章書いています。
しかし、これは、本質的な違いではないの。
作業の効率アップのためにデジタル化している、ということ。
それがビジネスの現場ではシビアだから。
だけど、本質はそれとはちょっと違う場所にある。
デジタルでものを作る意味は、僕らの今までの作業の代替としてあるわけじゃない、ということ。
ここをよくわかっていないひとが多いんだ。
だから、デジタルデータそのものの、マテリアルとしての意味を考えています。
機械の音が自然音を模倣するためにあるのではないのと同じように、コンピュータが生み出す価値観が、従来の生活の模倣でない、全く別の人間の振る舞いを生み出すかもしれないと感じています。
でもそこに人間の存在と不可分な「身体」がどうやって取り込まれていくのかがよく見えていない。
「身体」の問題は重要でこのあたりを考えるのが、デジタルライフの今後を予測していく鍵になるかも。
テクノロジーが肉体を拡張してきたのは事実。
電話で話しているときに身体的な反応がないわけではないでしょう?
事実、この間僕は部屋でドライバー(ねじを締めるためのアレね)を探していてみつからず、思わずgoogleで検索しようとしてしまった。!

3年前のこの日に僕はこんなことを考えていた。

当時教えていた大学の学生に向かってこんな言葉をかけていた。
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こんばんは。ちょうど後期の授業が始まったころなのでしょうか?
僕は、毎日定時に出勤する仕事ではないので、この数日間はほとんどTVの前で過ごしました。
何度も何度もあの光景を見て、現実世界と想像世界(あるいは虚構)が錯視図形の「図」と「地」のようにくるくると反転していく様子を感じていました。今回、一体何が起きたのか?それが自分の生きている実感とうまく結びついてくれない、奇妙な違和感にどこまでもつきまとわれています。
これからどのような顔をして特撮映画のクラッシュシーンを見ればいいのだろう?
ここ数日、みなさんは何を感じ、何を考えましたか?
アメリカに滞在していたりした子はいませんでしたか?
事件がどこまでも悲惨で残酷で、言い様もないほどひどいものだったことは、今生きている誰もが否定できない事実です。ですが、歴史に目をむけ、これからの世界の行く末を考えての「この事件への処方箋」提出に関しては、おそらく様々な意見があると思います。
20世紀は大量殺戮の時代でもありました。ドイツ、南京、ゲルニカ、広島、ベトナム、イスラエルをはじめ、およそ世界中で、様々な国の様々な人々が理不尽に殺されました。今回のNYでも、「聖戦」に対する代償として、数千人のinnocent peapleが巻き込まれたわけですから、21世紀にはいっても、世界は根本的には、ちっとも進歩などしていなかったということになるのだと思います。
「パールハーバー以来」という言葉がアメリカのメディアに毎日のように登場している様子ですが、これにいくばくかの違和感を感じないような鈍感さを持ちたくはないとも僕は思っています。「アメリカの威信をかけた報復攻撃」といった日本の報道に対しても、一緒になって拳を振り上げるような気分にはどうしてもなれないのです。
イスラエルでは、多数のムスリムの難民が、瓦礫の山となったNYのダウンタウンよりもなお劣悪な環境でもう30年以上も暮らしています。また、もともとアフガニスタンに侵攻したのは、旧ソ連軍だったわけですし、それに対する抵抗運動を支援したのは、アメリカでした。
これらの歴史的な経過を冷静にみつめていくことが必要なのだと思っています。
「力」「武力」による解決のみを目指しても、泥沼のような報復合戦が際限なく繰り返されることは明らかです。アメリカのために、またすべての国のひとのために、その双方が満たされるように、できることを、日本は考えなくてはならないのだと思います。。アメリカの手下としてではなく、より冷静になれる立場の友人として。
最後に、もう50年以上の前に暗殺された(これもまた暴力!)、あるインド人の言葉を引用しておきます。
「あなたがこれまでに会った、最も貧しく最も弱い人の顔を思い出しなさい、そして、あなたの考えている行動が、その人にとってはどう役立つかを自問しなさい。」
2001.9.16
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