MIMIKAKI2

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このニコニコ顔のおねえさんは、大学の後輩にあたるPさん。
というか、常に神出鬼没のPIRAMI嬢です。この日も知人のライブ会場で偶然ばったり。でした。
もう8年近く前になりますが、彼女が”MIMIKAKI2″というオムニバスCDをプロディースしました。8年たった今こそ(!)販売強化したいとのことですので、ここでも告知しておきましょう。
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http://www.eyesmusic.jp/KUWR002.html
“MIMIKAKI2″には僕も1曲提供していますが、それ以外にも渋谷慶一郎くん、徳沢青弦くんの別名儀(GEIDAI組多いね)などの作品が収録されています。お問い合わせ、大歓迎だそうです。
“MIMIKAKI2″についてのお問い合わせ先
PIRAMI STAFF / E-mail: pirami.info@gmail.com 電話: 080-5683-0488
追記:そうだった、前述のY先輩の楽曲も入っておりまする。

晩秋の記憶と桑沢レクチャー

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2ヶ月ほど前に、車の中から撮った写真(をちょっと加工)。
秋のナガメの記憶です。
さて、さる水曜日、オーサグラフの鳴川先生に声をかけていただいて、桑沢デザイン研究所にてゲスト講義をしてきました。(学内の授業だったのでここでは告知できず。すみません。)
90分みっちり話して、さらに80分ほどディスカッション。
建築科相手ということに微妙にプレッシャーを感じて講義の準備をばっちりやってしまった私は小心者です。
講義のときに紹介した作品を(自分用メモ)リスト化しておきます。
●The Machineries of Joy / Kyo Ichinose
●György Ligeti/ Atmosphères
●Steve Reich / Tehillim
●Andrei Arsenyevich Tarkovsky / Stalker
●J.Cage / “in love with another sound” interview
●Waiting for the wind / Living world + Kyo Ichinose
ディスカッションでは桑沢のSD科の先生方も加わってくれて、「音(楽)」「建築」「空間」などをキーワードに語り合いました。音楽と建築を対比して語るなどという視点はずーっと昔にクセナキスの本を読んで以来ほったからかし温泉になってましたが、話しながらいろいろ思い出してきましたぜ。桑沢のSDの先生方はずいぶん世代が若く(当社調べ)しかもよく考えている人々で、合計3時間の長丁場は疲れたけど、「教えること」が「教わること」につながるよい体験でした。

下北沢で先輩と

このコワモテのお兄さんは、大学の先輩にあたる作曲家のYさん。
数年ぶりの再会を下北沢のmarusan foodsにて祝いました。
わたし:じゃこと山椒のオムライス
Yさん:石焼き和風ナシゴレン
でした。
素直な味でおいしかったです。オムライス。
Yさんはポップスのアレンジャーや作家でもあり、実験音楽の音楽家でもあり、学校の先生でもあり、と、世間的には「N足のわらじを履いてる」などと言われそうな方。僕のようにふらふらしている音楽家にとって親近感のわく先輩で、折にふれ連絡をとっては考えを交換してきました。本日も今の音楽業界に起きている変化や、来るべき新しい時代の音楽家としてどういうスタンスをとっていくのがいいのか、長々と会話してしまいました。
午後の長話、学生時代に大浦食堂(ローカルですみません)でこんな時間をよく持っていました。
でも、時代は着実に変わっているのです。
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“*ハロー、プラネット。”について考える。

(しばらく前に書いたものですが、なぜか投稿しておりませんでした。。)
“*ハロー、プラネット。”について考える。
http://www.youtube.com/watch?v=_dlyIyfd9s0&feature=related
(オリジナルはニコニコ動画ですが)
ニコ動に大量にアップされているボーカロイド楽曲は、そのほとんどが冗長なオタクの独り言を聴かされてるみたいなものだけれども、そのうちの何パーセントかは、明らかに違っている。一線を越えている。その好例が、この*ハロー、プラネットだ。
ボーカロイドが世に出て、愛好家たちがいつしか見いだした共通のテーマは”人間でない「わたし」の歌う歌”というものだった。「歌う機械」という夢は、人間を模倣することをやめた。
“*ハロー、プラネット。”は、終末を迎えた世界でミクが一向に芽に出ない植木鉢を抱えて(頭にのせて)旅をする物語である。僕はこの作品を見ながら、カート・ヴォネガットが「スラプスティック」で描いた絵本のような終末のことを思い出した。ハイホー。そして、ボーカロイドが歌うことでSF的な筋立てがリアリティを持つというからくりに気がついたとき、愕然としたのだった。(特に、ミクがスフィンクスのなぞなぞに答えられない場面は秀逸。)
ファミコン世代のオプティミズムといって批判する人、あるいは感覚的に受け入れないという大人たちもいるだろう。でも、僕たちはこうやって先に進むしかできないのも事実なのだ。終末論もギリシャ神話も、学校で習う前にRPGで知ってしまった世代がもう存在している。
これからは、私たちが「歌う機械」のように歌おうとするのだろう。